41歳課長が年収870万円と老後の安定を捨ててまで得たかったものとは何か?その全てをお話しします【だーすーの自己紹介】



「自分は何のために生まれてきたんだろう…」


「これから何のために生きていくんだろう…」




課長2年目。

部下14人を抱え、上司からの無茶ぶりと部下の指導に疲弊しながら、

39歳だったわたしは毎日そんなことばかり考えていた…




そんなある日、
心の中の自分がそっとつぶやいた…


「このまま会社に居続けたら、自分が可哀そう…




この瞬間、わたしは脱サラへと走り出した!



~~~

はじめまして、だーすーと申します。

このサイトにお越しいただきありがとうございます。





2021年4月。

わたしは”安心・安定”の一部上場企業の正社員という立場を捨てて、
脱サラしました。


41歳の春の出来事でした。




そして、

脱サラから1年と少しの間に

わたしの人生は劇的に変化しました。




脱サラ11ヶ月目で、単月80万円達成!(22年3月)

脱サラ14ヶ月目で、単月100万円達成!(22年6月)

(以下は収益実績の一部)

入金の一部(コンサルティング費用として)




・年収8桁の起業家さんとコラボ企画開催!(22年6月~7月)

ブログ内に記事もあるのでぜひ読んでみてください(音声も残してあります)





・念願だったビジネスコミュニティを設立(22年8月)

コミュニティ名の”YELL”は「一人一人を応援したい」の想いから





コンサルティングをしているクライアントさんの実績(一部)

 ・10ヶ月間、収益0円のクライアントさんが
  コンサル開始7日でゼロイチ突破&5桁収益化!

 ・ビジネス歴1年以上でも稼げていなかったクライアントさんが
  個人コンサルを初成約&5桁収益化

 ・ビジネス歴3ヶ月のワーママさん
  2回の通話フォローで高額アフィリ成約!

 ・実績0の主婦がアカウント設置23日でゼロイチ突破して
  いきなり5,000円稼ぐ

 ・トレーニング系発信のクライアントさんが
  個人トレーニングサポートを初成約!

などなど。


さらに最近では
他の発信者さんからインタビューを受けたり

新たに
法人や画家さんのコンサルティングも始めました



また、ありがたいことに同じように個人でビジネスをしている方から

「だーすーさんがわたしの目標です

「だーすーさんがいるからがんばれています(^^)」

というお声もいただくことが増えました。




そして、

このビジネスを始めて、
何より「良かった~!」って実感するのが
たくさんの”ありがとう”をいただけることです
(^^)



(以下、いただいた感想の一部)




いただいた感想を眺めていると、
当時のがんばった姿や成果が出た時の感動がよみがえってきて

ニターーーッ(*^_^*)



って顔がほころんでしまいます(笑)


(元いた会社でもこのくらい嬉しい出来事に溢れていれば、
わたしはきっと退職しなかったんだろうな…)



そんなことを思わなくもありませんが、

それでも2年前、勇気を出してこの世界に飛び込んで
心底良かったと思っています。





もちろん、

脱サラした今は、
めちゃくちゃ自由度の高い毎日を送っています。


毎朝、好きな時間に起きて、
好きな時間から仕事を始める。


お昼は夫婦揃って、のんびり昼食。
最近のお気に入りは、食後のハーゲンダッツ!(^^)


夜は翌日のことを気にせずに夫婦で晩酌。

録画しておいたお笑い番組を観ながら、
「楽しいね~」という妻の顔を眺めて過ごす。




何か特別なことがあるわけではありませんが、

自分のやりたいことに100%の時間が使える

そんな毎日を送っています。





あと、先日も平日にふらっと夫婦で旅行に行ってきました!

平日なので料金は格安ですし、道も空いていて、とても快適でした。

広いベットのある豪華なホテル
ホテルにて、結婚12年目の記念に!
夕食ビュッフェでのローストビーフ!






”自分の生きたいように生きる”ことが

「こんなにも幸せなんだ!」

ということを日々実感しています。



そして、

わたしがこのような日常を
手に入れることができたのは、、、


もちろん、ネットビジネス、

中でも、

情報発信ビジネスに出会ったからです!





もしあなたが今、

・もっとやりがいのある毎日を送りたい

・もっと自分らしく生きていきたい

・自分の好きなものに、好きなだけ時間を使えるようになりたい

・自分の強みを生かして、感謝される人生を送りたい



この中の内、どれか1つでも当てはまるのであれば、


「ぜひ、挑戦してみて欲しい!!」



もし、2つ以上当てはまるのであれば、

絶対に!挑戦して欲しい!!」




そう断言します。


情報発信ビジネスには

それくらいあなたの人生を激変させる可能性を持っています





このように書くと、

「怪しい…」

「詐欺なんじゃないの?」

そう思うかもしれません。


はい。わたしもそう思っていました(笑)


ですが、実際は違います。

わたしが2年以上このビジネスに携わってきた経験から
「違う」と断言できます。


詐欺的なものがあることは否定しませんが、
少なくとも私がやっていることは詐欺ではありません。


もし、仮にわたしがやっていることが詐欺だとしたら、

冒頭でお見せしたような手書きの御礼文が届くでしょうか?



詳しくはまたメルマガ等でお伝えできればと思っていますが、

「怪しいから、わたしはやらない」

っていうのはめちゃくちゃもったいないんですね。





なぜなら、

ネットビジネスを学び、実践して1年とちょっとで
ナニモノでもない42歳の一般人(わたし)が

会社からではなく、一個人として、

月80万円とか、月100万円とか、

こういう金額を実際に稼ぐことができているからです。



これは煽るとか、そういうことではなくて、
わたし自身に起きた”事実”をただ単に書いているだけです。



もちろん、勉強も必要ですし、作業も必要です。

お客様の大事なお金をいただくわけですからね。



でも、これって会社員も同じですよね?



毎日同じ時間に出社して、

一般的な会社員であれば、1日8時間、週40時間働いて、

その結果として、給料をいただく。



じゃあ、1年間頑張って、頑張って、頑張って、
1年後にあなたの年収はいくら上がりますか?




しかも、このビジネスの収入には、

自分たちの都合だけで仕事を丸投げしてくる上司が存在しません。

仕事をせずに口だけ出してくる面倒な先輩も存在しません。

コロナ禍に危険を冒して出社する必要もありません。

プライベートや家族との大切な時間を犠牲にして
付き合いでゴルフに行く必要もありません。


代わりに、今のわたしの周りは

「だーすーさんに出会えて良かったです😭」

「だーすーさん、いつもいつもありがとうございます😂」

このような声と素敵な人間関係で溢れています。



でも、これって当然なんですよね。


なぜなら、

「ビジネスの本質はお客様の悩みの解決」

だからです。


つまり、お客様の悩みを解決して喜んでもらうことこそが、
ビジネスの本質なんです。


「ありがとうが溢れる」というのは、
きちんとビジネスの本質に沿っていけば、
当たり前に起こることなんです。


わたしが
「これは詐欺ではありません」
と断言できた理由もここにあります。



あなたもビジネスを学び、実践していくことで、

やりがいのある仕事でありながら

自分に1㎜もうそをつかずに

お客様に感謝されながら

会社員の時以上の収入を得ることができます。



わたし自身、会社を辞めてからもほぼ毎日PCで作業していますが、

正直、仕事という感覚はありません。



もちろん、お金をいただく以上、責任を持ってやっていますが、

「もっとこうしたい」
「お客様により良いものを届けたい」

そういう気持ちが溢れてきて、
やりがい・充実感がハンパないです。



趣味であり、仕事である。


そんな感覚でお金を稼いでいるわけです。




情報発信ビジネスは勉強代はかかりますが、
(勉強代はどんなビジネスをやるにしてもかかります)

飲食店のように、家賃や原材料費がかかりません。

小売業のように、在庫を抱えるリスクもありません。

PCとスマホと知識さえあれば、お金が生み出せてしまいます。




毎月かかる費用は諸々のツール代を入れても
1万円でお釣りが返ってきます。

わたし自身、
ツール代にかかっているのは毎月6,000円程度です。



つまり、ビジネスを始めると言っても

 ・上司や会社の愚痴を言うためだけの飲み代

 ・付き合いで行くゴルフ1回分

 ・ストレス発散のためのショッピング代

 ・何となくで使っているスマホゲーム代



こういうお金の使いみちを変えるだけでいいんです。


情報発信ビジネスはこれくらい手軽に始めることができるんです。



つまり、

やらない理由が見当たりません。





さて、ここまで読んでくださったあなたは
こんな疑問を持ったかもしれません。


「なぜ、この人はこんなにも暑苦しく伝えてくるのだろう?」

と。

その理由、少し気になりませんか?


「お金のため?」

まあ、ぶっちゃけ言えば、
ビジネスである以上ゼロではありません(笑)


でも、お金だけが理由であれば、
わざわざこんな記事を書かないと思います。
(自分の性格的に、ですね)


というか、
とっくの昔にやめていると思いますね。

「ネットビジネスなんて、詐〇だああーーーーっ!!!」

って言いふらしながらね(笑)





わたしが暑苦しくお伝えしている理由はただ一つです。

それは冒頭にも書いた通り、

情報発信ビジネスに出会って、
わたしの人生は激変したからです。



より正しく言えば、

情報発信ビジネスに救われた!

そんな気持ちさえあります。


それくらいネットビジネスに出会う前のわたしは
”これまでの人生で一番辛い”と感じるくらい

人生のどん底にいました。




そして、

当時のわたしにとって
ネットビジネスは怪しいものではなく、

この絶望的な人生から
わたしを救い出してくれる

”唯一の光”



でした。


ここからは私の想いを
よりリアルに体感してもらえるように、

  • だーすーがどんな人生を歩んできたのか?
  • なぜ、情報発信ビジネスに出会って、脱サラしようと思ったのか?
  • だーすーが掲げる理念とは?

などについて書いていきます。


ぜひ、最後まで読んでもらえると嬉しいです(^^)

(ここからはあえて、ですます調をやめています)


目次

    自由奔放なだーすー少年の人生は、小5の冬に幕を閉じました



    わたしは自営業の父と専業主婦の母の次男として、
    新潟の豪雪地帯に生まれた。

    2歳上の兄と2歳下の弟に挟まれながら、
    常に兄弟と比較されながら育った。


    小さい頃のわたしの人生軸は

    ”イイ子ちゃんでいること”。

    ”自分らしく生きる”

    というよりも、

    いかに褒められるか、

    いかに親に迷惑をかけないか

    考えていたのはいつも他人からの目だけだった。


    幸い、小学生の頃は勉強もでき、
    運動も得意な方だったので、

    褒められる機会は自然と多かった。


    だが、人生そううまくは続かない。


    そんな日々を送っていると、
    知らず知らずのうちにへんな癖がついていた。

    それが

    ”何でもかんでも自慢する”

    という厄介な癖だった。


    まあ、同級生から見れば、シンプルに

    ”嫌な奴”になっていた。


    ただ、この時はまだ自分が嫌われていることに
    気づいていなかった。



    その事実に気づかされたのは
    小学校の時の生徒会長選挙だった。

    わたしが通っていたのは、
    1学年1クラスのみの田舎の小さい小学校。

    もちろん、みんな顔も名前も知っている。


    わたしの他に、クラスの人気者だったH(女子)が立候補した。

    しかし、わたしは負ける気がしなかった。


    なぜなら、過去に女子で生徒会長になった人はいなかったからだ。


    選挙当日。

    自信満々だったわたしに突き付けられた結果は、、、

    『落選』

    だった。


    今思い出せば、当たり前の結果とも言えるが、

    当時はショックを隠し切れなかった。

    選挙後、当選したHには

    「おう!生徒会長がんばれよ!」

    なんて強がって声をかけたが

    その日はいつも一緒に帰る友だちを置いて、
    何かから逃げるように急いで家に帰った。



    次の日から

    クラスの全員が自分を嫌っているように感じるようになった。



    わたしの人生の暗黒時代の始まりである。


    小学校最後の1年間は、

    「嫌われないように」

    「目立たないように」

    素の自分を出さずに、取り繕うように毎日を過ごしていた。


    そんな小学校生活を終えたが、
    田舎だったため、
    中学校に進んでもクラスのメンバーは変わらない。


    だから、小学校の時と変わらず、
    中学校でも目立つことを避けるようにして生きていた。

    以前だったら、必ず立候補するクラス委員にも立候補しない。

    体育祭の応援団に入ってみたかったけど、それも諦めた。


    この頃はもう、

    自分が何のために生きているのか」

    わからなくなっていた。


    典型的な器用貧乏だったわたしには

    「これがやりたい!」

    そういう夢や目標がなかった。


    だから、何かに向かって頑張る同級生が羨ましくもあった。


    「俺にも人生の目標となる何かが欲しい」


    そんな時に出会ったのが、

    ”モノづくり”(工業)

    という世界だった。


    中学卒業後は工業高校に進むことにした。

    工業高校は隣の市にしかなく、
    結果的にこの選択のおかげで地元からも離れることができた。


    ”人生のリスタート”



    そんな言葉を胸に秘めた高校生活がスタートした。

    元々理科や数学が得意だったわたしにとって
    工業高校での生活は水を得た魚のように楽しいものになった。


    「我慢せずに自分らしく生きるってすばらしい!」

    何年かぶりにそんな気持ちになっていた。

    その後は様々な巡りあわせもあり、

    大学の工学部、大学院へと進んで、

    卒業後は大手部品製造メーカーへの入社することになった。



    入社1年目から残業漬けの毎日。でも〇〇だった…



    24歳の春。

    勤務地は北関東のグループ会社の工場。

    製品開発を担当する技術系の部署に配属され、
    1年目から残業漬けの毎日を過ごしていた。

    当時は「働き方改革」なんて言葉も無く、
    夜中まで会社に残っているのが当たり前の職場だった。

    大学院まで行き、意気揚々と入社したものの、
    最初は全く仕事が出来ずに、上司や先輩からは呆れられる日々だった。

    一方で、どんどん仕事をさばいていく上司や周りの先輩がキラキラして見えた。

    「俺もあんな風になれるかな~。なりたいな~」

    そんなことを思いながら、毎日夜遅くまで会社に残っていた。

    毎日独身寮に帰る時刻は22時を超えていたが、
    希望の部署に配属されたことと、

    「社会人として仕事をしている」

    そんな感覚が学生時代が長かったわたしには新鮮で、嬉しくて、

    体力的にはきつかったが、
    やりがいや充実感に溢れていた。


    その後も残業漬けの毎日を送りながらも
    少しずつ成長し、やりがいを感じながら
    あっという間に7年の月日が流れていた。


    妻と出会ったのはそんな日々を送っていた入社7年目、
    30歳の時だった。

    友だちの紹介から意気投合したわたしたちは
    交際半年ほどで結婚することになった。


    妻は憧れの新婚生活を想像していたに違いない。

    わざわざ遠出して大型アウトレットモールに出かけ、
    お揃いの食器を二人で選んだりもしたし、

    「料理は苦手だけど、がんばるね!」
    と張り切ってくれていた。



    しかし、ちょうど責任のある仕事を任され始めていたこともあり、
    結婚後も変わらず、独身時代と同じ残業漬けの日々だった。

    この頃になると、少しずつ出張や会食も増えていき、
    たまの休日も付き合いのゴルフというように、

    妻と過ごす時間はますます短くなっていった。


    文字通り、全てが「会社中心」だった。


    しかし、当時のわたしにとって、

    常に会社が最優先だったし、
    これが当たり前だと思っていた。


    念願の課長昇進!そして、再び”絶望”が始まった…



    2018年7月。

    念願の課長に昇進した。

    辞令をもらった時は

    「よおお~しっ!」

    と心の中でガッツポーズをしていた。

    給料が上がることも嬉しかったが、
    収入UP以上に「課長になった」ということが
    周りに認められた気がして、素直に嬉しかった。


    この時のわたしは38歳、入社15年目だった。

    「サラリーマンになった以上、課長くらいにはならないとな」

    という気持ちもあったが、

    わたしにとっての課長は嫌々ではなく、
    目標としていた”なりたい”ポジションだった。


    たぶん、普通のサラリーマンからしたら相当珍しいタイプだと思う。

    もちろん、私の周りにも
    好き好んで課長をやっている先輩は
    ほとんどいなかった。

    「なぜそんなに課長になりたかったんだろう?」

    そう昔を振り返ると、
    新入社員の時の鮮明な記憶が背景にあることに気づいた。



    ~~~

    入社1年目。

    わたしの上司の元には、
    色んな部署の人たちが絶え間なく相談にやってきていた。

    (すっげー!課長の席っていっつも人だらけじゃん・・・)

    と思いながら、落ち着いて仕事をさばいていく上司の姿を横目に見ていた。

    上司から自分の仕事にダメ出しをされても

    「くそ~っ!!」

    という気持ちよりも

    「的確過ぎて言い返しようがない」

    という完敗の状況だった。

    知らず知らずのうちに

    「自分も将来課長になってこんな風に仕事ができるようになりたい」

    という気持ちになっていた。




    ~~~

    あれから15年。

    今は知識も経験も新入社員だったあの頃とは違う。

    「俺にできるかな~」

    という不安な気持ちではなく、

    「やってやろう!」

    という意気込みでいっぱいだった。

    課長を目標にしていたくらいだから、
    マネージメント術、人材育成法、メンタルヘルス、コミュニケーション術など、
    課長になって必要になるであろう知識については、一通り勉強してきた。


    だから、それなりにやれる自信はあった。


    (やれる!このために15年もがんばってきたんだ!)

    (よし!おれがこの会社を変えてやる!!!)


    文字通り、そんな未来予想図を描いていた。


    しかし、、、


    現実は甘くなかった・・・。


    「課長らしさ」に真正面からぶつかった1年目



    当時は会社の業績が拡大し、
    本業の仕事が増える一方で、

    残業削減や生産性向上など、
    課長としてやらなければいけない仕事も山のようにあった。

    当然、新任だからと言って仕事が減るなんてことはなかった。


    関連部署からメールや電話はひっきりなしに届くし、
    会議の数も今までの3倍くらいに増えた。


    想像した以上に、部下からの相談や
    様々な承認業務(要はハンコを押す作業)への対応に時間がとられた。

    当然ながら、部門の責任者として、
    上司や経営層からのプレッシャーも
    これまでとは全く違っていた。


    ただ、そんな状況であっても

    「部下にはやりがいを持って仕事をしてほしい」

    わたしにはそんな思いがあった。


    自分の裁量の範囲で、
    部下がやりがいを感じられるように仕事を振り分けていた。

    当然、部下に下ろせない仕事が増えていき、
    自分の元に仕事が溜まるようになった。

    毎日遅くまで会社に残り、
    毎週のように休日出勤をしていたが、

    当時はまだ

    ”責任ある仕事を任されている”

    という状況にやりがいを感じていたし、


    自分のモチベーションの根底には、

    「もっと会社を良くしたい」

    「部下にも仕事のやりがいや面白さを知ってほしい」

    「自分ももっと成長したい」

    という思いが常にあった。



    妻には申し訳ないと思いつつも、

    当時は自分の時間の全てを会社に捧げていた。


    違和感を感じ始めた課長2年目。そして、心身にも限界が…



    課長2年目。


    相変わらず労働時間は減らなかったが、
    仕事のペースに慣れたことで精神的に余裕ができ、
    少しずつ社内の状況が見えるようになってきた。

    見えてきたのは新入社員の時に想像していた
    キラキラと輝く理想の未来とは
    真逆の光景だった。



    会議で前向きな提案をしても

    「できたらいいよね~。でも、ちょっと難しんじゃない?」

    「今は忙しいからあとでいいかな。そのうちやろうよ。」

    というような後ろ向きな答えばかり。


    上司からは毎日、

    「これ、社長指示だから」

    「これ、役員指示だから」

    と、現場から見たら思い付きとしか思えない指示がひっきりなしに飛んできた。



    その仕事で会社が良くなるのであれば、何の文句もない。

    だが、実際は違っていた・・・


    部下の仕事の計画を組み替えて
    全力で推進した結果、

    「あー、やってくれたんだ。でもその資料、もういらなくなったんだよね」

    というようなことがたびたびあった。


    一方で、別の仕事が滞っていると、

    「何であの仕事を進めていないんだ!それが課長の仕事だろ!」

    と、叱責されることもあった。


    当初はわたしの考えが浅く、
    仕事が遅いことが原因だと思っていた。


    しかし、実際はそうではなかった。

    わたしの上司も膨大な量の仕事を抱えて、
    自分のやりたいこともできない状況に疲れてしまっていたのだ。

    昔は熱く燃えて仕事をしていたんだと思う。

    しかし、

    毎日のように遅くまで働いて、

    「無理だ」
    「難しい」

    という言葉を山ほど浴びて、
    だんだんその環境に慣れてしまったのだ。



    がんばりはするけど、無理はしない』



    上司の姿がそんな風に見えた途端、
    何とも言えない悲しさが込み上げてきた。


    それと同時に、

    「あー、俺もあと10年もしたら、あんな風になっちゃうのかな~」

    上司の姿が”自分の将来の姿”と重なって見えた気がした。


    ただ、この時はまだ

    「自分は違う。絶対に上司と同じようにはならない」

    そんな気持ちがあった。

    毎日7時に出社し、会社を出るのは21時以降が当たり前で、

    1日中会議だらけのスケジュールの合間を縫って、
    14人いる部下とできるだけ話す時間を作っていた。

    部下が帰ってやっと一人の時間ができると
    確認依頼のあった書類全てに目を通し、
    細かい所まで赤ペンを入れたりもしていた。

    その後も自分のすべてを捧げるようにして
    全力で働き続けた。


    そんな状態で働いていたある日、
    突然、体に異変が起こった。


    (あれ、手の震えが止まらない・・・)


    自席で書類をチェックしている時に
    書類を持つ手の震えが止まらなくなったのだ。


    その時は一時的なものだろうと気にしないようにしていたが、
    翌日も体の異変は無くならなかった。


    むしろ、その日以降、
    徐々に体の異変は増えていった。




    〆切間近の仕事があるのに手がつけられない・・・

    自宅にパソコンを持ち帰っても開くことができないまま、
    次の日を迎える・・・


    今までだったらポンポン浮かんできた改善案が思いつかない・・・



    ついに自分でも認めるしかなかった。

    (あー、俺、もうがんばれないんだわ…)

    体力的にも精神的にも限界だった。


    「俺、会社辞めるかも…」、妻に吐露した”初めての弱音”



    2019年の秋。

    子供がいない私たち夫婦には

    『結婚記念日に旅行に行く』

    というマイルールがあった。



    今年の行き先は栃木県の那須高原。

    例年通りであれば、楽しい旅行になるのだが、
    今回は少し違っていた。


    (この旅行で、退職するかもしれないって妻に伝えよう・・・)



    そんな気持ちを胸に秘めながら、
    わたしは栃木に向かう車のハンドルを握っていた。

    初日は那須高原の牧場で動物と触れ合ったり、名所巡りをしたりして、
    夕方頃にホテルに到着した。

    いつもであれば、

    「あー、ホテルに着いた~!」

    とリラックスするところだが、
    今回ばかりはそんな気分にはなれなかった。

    (夕食が終わったら話をしよう)

    そんな気持ちで夕食会場から部屋に戻ってきたが、
    いざ妻に声をかけようと思うと、
    なかなか切り出すことができない。。。

    結局、
    その日は踏ん切りがつかずに
    言い出せぬまま終わった・・・。


    翌朝、朝食を食べ終えて、部屋で帰り支度をしている時に、
    意を決して妻に声をかけた。

    俺:「あのさ~、俺、会社辞めるかもしれないわ~。
       今すぐってわけじゃないんだけど、どう思う?」

    妻:「そうなんだ。いいんじゃない。
       寝言でも会社のことを言ってるから、大変なんだろうなって思ってたし」

    俺:「あ、そんな寝言言ってたんだ(笑)
       でも、会社辞めたら不安じゃないの?」

    妻:「まあ、不安もあるけど、
       一緒に居る時間が増える方がわたしは嬉しいかな」

    俺:「確かに、俺ってほとんど家に居ないもんね」

    妻:「で、辞めて何するの?わたしも働いた方がいい?」

    俺:「えっ!? あー、そこはまだ考え中なんだけどね・・・」

    妻:「あなたのことだからあんまり心配はしてないんだけど、
       決まったら教えてね!」


    こんな感じでこの時の会話は終わった。


    これまで言い出せずにいたことが打ち明けられた安堵感もさることながら、

    わたしの体のことを心配してくれていた妻の言葉が素直に嬉しかった。



    ただし、新たな問題が発覚した事にも気づいた。


    勢いで「辞めるかも」と言ってみたものの、
    どうやって生活していくのかが全く考えられていなかったのだ。

    (まあ、それだけ追い詰められていたということかもしれないが…)



    旅行から帰るとすぐに、
    貯蓄額と支出額の計算をしてみた。

    (うーん、どう考えても年間400万は出ていくな~)

    頭の中で「大体こんなもんだろう」とざっくり計算していたが、
    実際に書き出してみると、かなりの金額になることに改めて気づかされた。



    それから急いで、
    転職サイトに登録したり、
    転売などの”個人で稼ぐ”方法をインターネットで調べ始めた。


    しかし、すぐに現実を突きつけられた。

    (今くらいの給料を稼ぐって、結構しんどそうだな…)


    我が家には子供はいなかったが、
    妻は専業主婦だったし、
    この時はまだ住宅ローンが2,500万以上も残っていた。



    調べれば調べるほど、
    今の状況が経済的に恵まれていることを痛感した。



    (やっぱり、40歳で脱サラするって、無理なんだ・・・)


    でも、もう今までのペースで働くことはできない。

    (結局、上司や他の先輩のように適当にセーブしながら生きていくのが
     ”賢い選択”なのかな~)


    そんなあきらめにも似た気持ちのまま、
    年度末を迎えようとしていた。




    ~~~

    年度末が近づき、
    自部署の次年度の計画を立てていた時だった。

    その計画表を見ながら、ふと、

    (結局1年目の時とあんまり変わり映えしなかったなあ…)


    (課長の仕事には慣れたけど、それだけだ。
     成長できたという実感は何も感じられない…)


    (このまま10年、20年と、同じ1年を繰り返して、
     俺の人生は終わるのか…)




    「はあぁ~~~あ」


    正直、ため息しか出なかった



    でも、何もしなければ目の前の現実は変わらない、
    そんな気持ちもあった。



    わたしの頭の中では、

    『やりがいを捨てて、今の収入を取るか』

    『リスクを取って、脱サラするか』

    この究極の2択がグルグルと頭の中を回り続けていた。


    そんな頃に問題になり始めたのが、
    新型コロナウイルスの感染拡大だった。


    「俺も死ぬかもしれない…」きっかけは〇〇さんの訃報



    2020年3月29日。

    課長3年目を迎える直前、
    驚きのニュースが飛び込んできた。

    『志村けん、新型コロナウイルスで死去』



    「えっ!?」

    ニュースを見た時の第一声だった。

    当時、会社でも出張禁止やマスク着用の指示は出ていたものの、

    東京から離れていたこともあり、
    感染者数や死者数のニュースを見ていても
    どこか他人事であった。

    しかし、志村けんさんのニュースを聞いて

    (新型コロナウイルスって、誰でも死ぬ可能性があるんだ)


    そう考えたら

    (自分も明日死ぬかもしれない)

    という怖さが一気に全身を駆け巡った。



    志村けんさんのニュースをきっかけに、

    当たり前の毎日がいかに大切か

    考えるようになった。


    (今、自分が死んだら、妻は一人になってしまう・・・


    (会社の仕事は変わりがいる。でも妻には自分しかいない・・・



    (結婚してからもほとんどの時間を会社のために使ってきた。
     仮に今死んでしまったら、何のために結婚したんだろう・・・


    今までだったら考えもしないような思いが
    どんどん浮かんでくるようになった。




    4月になると、
    新型コロナウイルスの感染対策により
    課長などの管理職を含めた全員が原則残業禁止になった。


    結果的に、このおかげで
    毎日妻と一緒に夕食を食べれるようになった。

    (課長になってから妻と一緒に食事ができたのは週に1回程度)



    そんなある日の夕食で、

    妻が一言、

    「こうやって、一緒にご飯が食べられるっていいよね~」

    と何気なくつぶやいた。

    本当に何気ない一言だった。


    だが、この一言が
    わたしの価値観を180度変えた。


    お金より大切なものがあるじゃないか!


    いつ死ぬかもわからない世の中で
    もっと大切すべきものがわかった瞬間だった!


    わたしが本当に大切にしたかったものは、
    充実した毎日であり、妻と過ごす時間だった。




    この時から”脱サラ”は、


    「できたらいいな~」という希望から、

    「絶対に脱サラする。そのためにどうすればいいのか」

    という明確な目標に変わった。



    「多少のリスクを取っても絶対に脱サラしよう!」

    この時、わたしはそう決意した。


    ネットビジネスとの出会い



    わたしは新型コロナウイルスの感染は
    すぐには収まらないだろうと予測していた。

    だから、『在宅』をキーワードにして、
    稼ぐ方法を色々と調べまくった。

    その時に出会ったのが
    インターネットビジネスだった。

    以前から、ブログや物販で
    副業収入が得られるということは知っていたが、

    会社が副業禁止だったこともあり、
    どこか自分とは関係のないものとして見ていた。



    しかし、実際に目的を持って探してみると、
    インターネットを使って、個人で稼いでいる人が
    山のようにいることがわかった。

    しかも、
    大学生、専業主婦、子育てをしながら働くワーママ、など、

    「こんな人たちがビジネスで稼いでいるの?」

    と思うくらい、
    普通の人たちがたくさんいて驚いた。

    「PCだけで完結できるんだったら、コロナ中でも大丈夫そうだ」
    何となく方向性は決まった気がした。



    問題は

    本当に生活できるほど稼げるのか

    そこにやりがいがあるか


    の2つだった。


    当然稼げなければ、
    他の仕事を探さなければいけない。

    しかし、
    やりがいがなければ
    長くは続けられないと思っていた。


    脱サラする以上、
    すぐに稼げなくても
    将来的に稼ぎ続けられることが必須条件だと考えていた。


    そして、わたしにとって
    やりがいは働き続けるための重要な要素だった。


    「本当に続けられるだろうか」


    という疑問を解決するために、
    試しに見よう見まねでTwitterを始めてみた。

    アカウントを作ったのはこの時が初めてだった。


    恐る恐る、初めて”いいね”をしてみる。

    ”おはようございます!”とツイートしてみる。

    そんなレベルからのスタートであったが、
    1ヶ月ほど続けていると、

    当たり前のようにツイートしたり、
    リプしたりできるようになった。

    フォロワーも少しずつ増えた。


    ただ、どうにも稼げる気がしなかった。


    (こりゃあ、独学じゃあ無理そうだな)


    そして、

    Twitterを通じて交流のあった
    Aさんのコンサルティングを受けることに決めた。

    Aさんはすでに脱サラしてネットビジネスで稼いでいたが、
    会社員歴が長く、30代後半で話もよく合っていた。

    Aさんに

    「コンサルティングっていくらくらいなんですか?」

    恐る恐る聞いてみると、


    その額、

    な、な、なんと50万!!

    家と車以外では使ったことのない金額だった。


    でも、

    「絶対脱サラするんだ」

    という思いが私の背中を押した。




    50万はわたしの”覚悟”の値段だった。



    2020年10月。

    コンサルティングがスタートした。

    実際にネットビジネスを学び始めると、

    「こんな世界があったのか!!」

    というくらい知らないことのオンパレードだった。


    そして、

    「世の中には、明確なお金の稼ぎ方が存在する」

    ということもこの時初めて知った。


    1ヶ月ほど続けていると、
    最初は手探りだったことも一つ一つできるようになり、
    そこには自分が成長している実感があった。

    この頃にはもうわたしの頭の中は
    ネットビジネスのことでいっぱいになっていた。

    そして、

    会社に行っている時間さえも
    無駄に感じるようになっていた。



    決断の時が迫っていることを
    自分でも何となく感じていた。


    (このまま会社を辞めてしまって
     本当に大丈夫だろうか・・・)

    (本当に稼げるようになるんだろうか・・・)

    (でも、このままサラリーマン生活を続けたら
     10年後に絶対後悔しそうな気がする・・・)

    インターネットはこれからの時代に合っている。
     稼ぐためのスキルはきっと無駄にならないんじゃないか)


    (何より毎日が楽しい!
     こんなワクワク感、久しぶりだ)


    (諦めなければ絶対稼げるようになる。
     課長にもなれた。自分を信じろ!)



    色々な考えが頭をめぐっていた。
    ただ、一つだけはっきりしていることがあった。


    脱サラしない限り、妻との時間は増えない


    こうして、

    悩みに悩んだ末にわたしはついに腹をくくった。


    11回目の結婚記念日。妻に伝えた”本音”と”覚悟”



    2020年11月。

    この年の結婚記念日は
    新型コロナウイルスでどこにも出かけられず、
    自宅で過ごしていた。

    (今日、妻に退職のことを伝えよう!)

    そう思いつつも決心がつかないまま、
    時間は23時半を回っていた。

    意を決して、
    TVを観ていた妻に声をかけた。

    俺:「ちょっと話があるんだけどさー」

    妻:「ん?な~に?」

    俺:「俺、やっぱり会社辞めることにしたから」

    妻:「そうなんだ。ついに決めたんだね」

    俺:「ああ。最初は貯蓄を切り崩すと思うけど、
       ちゃんと稼げるように俺がんばるから」

    妻:「うん。期待してる。まあ、最悪わたしも働けばいいし。
       たぶん、私たちなら大丈夫だよ!」

    俺:「そう言ってもらえると助かるよ。ありがとう!」

    妻:「うん。でも嬉しいな。これで毎日一緒に居られるんだね」



    そう笑って話す妻の笑顔を見ながら

    (この選択は間違っていない)


    そして、

    (あとは自分が頑張ればいいだけ!)

    そう思うことが出来た。


    覚悟が決まると、結論は案外シンプルだった。



    『自分に正直に生きる』、新たな一歩を踏み出した…



    仕事の引き継ぎ期間を考慮した退職日を決めて、
    年明け早々に退職の旨を上司に伝えた。

    すぐに、役員、社長へと話が伝わったが、
    わたしの気持ちが尊重され、
    変な引き留めもなくすぐに了承された。


    その後は引き継ぎのための資料作成や
    身の回りの整理に追われたが、

    最後の奉公という気持ちで
    最終日まで一生懸命働いた。



    迎えた最終出社日。


    関係部署にあいさつ回りにいくと、
    たくさんの人からねぎらいの言葉をもらえたことが
    素直に嬉しかった。




    その日の夕方、
    全ての仕事を終えて事務所の玄関を出た。

    「あー、こうやって毎日同じ場所に通う生活も
     これが最後なんだなー」

    と17年間のサラリーマン生活を名残惜しみつつも、

    「これからは自分の力で稼いでいくんだ!」

    と決意を新たに歩き出した。




    <脱サラヒストリーはここまで>


    だーすーの理念



    わたしは

    『経済的な不安から解放され
    人生100年時代を自分らしく

    豊かに生きる』

    を人生の目標に位置づけ、

    同じような価値観を持つ人、

    同じような生き方を目指す人に向けて、

    必要な情報を届けています。


    特に、

    今、会社で苦しんでいる人、

    もっとやりがいのある毎日を送りたい人

    もっと誰かの力になりたいと考えている人

    など、

    人生にやりがいを求めながら、
    自分らしく生きていきたいと思う人と共に、
    一緒に成長、成功していきたいと思っています。



    最後にわたしが伝えたいこと



    わたしが脱サラしようと思った時、

    まず最初に

    「わたしの人生に必要不可欠なものは何か」

    ということについて考えました。

    わたしの答えは

    『自由』

    『やりがい(生きがい)』

    の2つと、人並みに生活できるだけのお金、でした。



    わたしの考える『自由』の中には

    全力で頑張れる環境を手に入れる

    誰を大切にするか、誰と付き合うかを決められる

    自分の想い、価値観を遠慮なく伝えられる

    こんなことを含んでいます。


    『やりがい(生きがい)』の中には、

    誰かの役に立つ

    自分の成長や達成感が感じられる

    ワクワクする

    こんな要素を含んでいます。




    今、振り返ると、課長になる前のわたしには
    このすべてが揃っていました。

    会社員という働き方に疑問を感じず、

    むしろ、やりがいを持って仕事に取り組めていました。


    ですが、課長になったことで、
    お金以外の2つ、『自由』と『やりがい』を失いました。

    課長昇進から3年が経った時、

    「自分で行動しない限り、現状は変わらない」

    ということを悟ったんです。

    そんな時に出会ったのが
    インターネットビジネスでした。


    幸運なことにインターネットビジネスの中には、

    わたしが必要不可欠だと考えたすべての要素が
    含まれていました。


    インターネットビジネスに出会ったことで、
    わたしは自由とやりがいに溢れた未来が描けたんです。



    現在は退職を決意した時に想像した、



    いいえ、想像以上の日々を送っています。




    脱サラ当時は本当に稼げるようになるのか不安でしたが、

    今は月80万、月100万、と稼げようになりました。



    1年前まで1,000円すら稼げなかったわたしが
    嘘のようです。


    正しい知識を学んで実践し続ければ、
    無理なく自分だけの力で収入を作ることができます。


    一歩踏み出すだけで
    人生って大きく変わるんです。


    わたし自身がこういう経験をしたからこそ、
    以前のわたしと同じように

    ・上司に振り回される毎日に疲れ切っている

    ・将来に不安を抱えつつも今の会社が辞められない

    ・生活のためとはいえ、家族を犠牲にしている毎日に罪悪感を感じる

    ・”もっと自分らしく生きたい”という想いに蓋をして毎日過ごしている


    こんな悩みを持った人が
    一人でも救われたらいいなと思って情報発信をしています。



    そして、
    自分らしくいきいきと生きる人が一人でも多くなれば、
    日本ももっと元気になると思っています。






    わたしのページに訪れていただいたということは
    あなたも現状に対して、
    何かしらの不満、不安があるんだと思います。



    「あなたが大切にしてるものは何ですか?」



    あなたの人生を変える一歩を

    自分や家族を本当に大切にするための一歩を

    今日踏み出してください。


    勇気ある一歩を踏み出したあなたを
    わたしは全力でサポートしていきます!

    困ったことがあったらいつでも相談してくださいね^^



    最後まで読んでいただき、ありがとうございました!



    【感想が毎日届く♪無料メルマガ】諦め混じりの人生を変えたい人は”今すぐ”登録してね!